ゲームと無料喫茶店とニュースサイトが毎日更新される理由
ゲームというのは、普通は遊ぶものだと思います。
大多数の人がゲームを「遊ぶもの」として捉え、当たり前のようにゲームを購入しています。
僕にとってゲームとは「作るもの」でした。
これはもう完全に明確な違いで、子供の頃になぜか親父が「ゲームは人を堕落させる」と言って一切のゲーム機を買ってくれなかったのです。
その反動で息子がむしろ人を堕落させる仕事に就いてしまうとは、親父も思っていなかったに違いありません。
こういう境遇の人はこの業界に多くて、かつてゲームを遊べなかった人たちがなぜかゲームを作る仕事をしている、というある種逆転の構図があります。
ゲームを買い与えられなかったことは僕自身の堕落を止めることはできませんでしたが、かわりにプログラミングを学ぶ強力なモチベーションを得ることができました。
ゲームが作りたくてプログラミングを始める。というのもまたよくある話です。
もっとも僕の場合、ゲームそのものもよりもコンピュータの中で仮想世界を再現し、その中である種の原則によって動くものを作り出すことに興味があって、だからセルオートマトンとか、3Dとかに夢中になったのですが、このどちらの場合でも食っていくためには、研究者になるかゲーム開発者になるしかありませんでした。
研究者になるような勉強は高校の頃にとうにあきらめていたので、なし崩し的にゲーム技術者への道を選ぶことになりました。これまた一生後悔する出来事です。道は将来のことをよく考えてから選ぶべきでしょう。
僕がゲーム技術者になって最も後悔したことは、その仕事が自分に全く向いてなかったことです。
コードや理論の美しさよりも画面の美しさ、理論よりも売り上げの飛躍が最重視され、最も死守すべきは誇りではなく〆切でした。
誤解を恐れずに言えば、脳トレが売れてる時代はゲーム開発者にとっては冬の時代です。
ゲームの正義=商業的成功だとすれば、脳トレは文句無く金メダル級の作品です。しかし僕からすると、脳トレを作ることになんの喜びも見出せません。いや、ユーザーとしてはハマってるんですよ。でも、作り手に回りたいとは思わない。実際、脳トレのスタッフロール(なんてものがあればですが)を見た記憶もなければ誰が作ったのかわからない。川島教授というマスコットだけが印象に残っていますが、これを作ったのが川島教授でないこともわかっています。そういうものです。
僕が好きなのはむしろガンパレードマーチやシムシティのような自己組織化がテーマのゲームですが、そういう遊び方をする人は非常に少なく、前者は単に自由度の高い萌えゲーとして、後者は街作りゲームとして、それぞれ人気を得ています。しかしこれは理論追求と商業性が適合した稀有な例で、ガンパレードマーチにしても商業性を成立させるために理論的な美しさをかなり犠牲にしています。
バカラという博打があって、これは単にトランプのカードをめくってそれが何であるか当てる、という、全く不可解なギャンブルです。
しかし人間の意識にはモンタージュ効果というものがあって、全く意味の無い数字や文字の並びであっても、意味を見出してしまうのです。
つまり、3,8,1,5と続いてきたら、奇数が多いから次は偶数だ、などとなんの根拠も無いことを瞬時に思ってしまうのです。
ジェフ・ホーキンスは知性とは予測だと定義しましたが、とんでもない。知性とは妄想する能力だと思います。3,8,1,5の並びにはなんの意味もありません。けど、人間は次を予「想」するのです。予「測」ではありません。予測とは根拠のあるものですが予想にはありません。
パチスロ全盛の時代を見ると、遊んでいる人々というのは、チューリングマシンに代替可能な気さえしてきます。
パチスロを遊ぶというチューリングテストがあるとすれば、機械でもかなりエミュレートできるのではないでしょうか。パチスロのまわっている画面だけを見て、それを遊んでいるのが人間なのか機械なのか判断するのは難しそうです。
サルガッソーの鈴木健さんが大好きな「メカニカルターク」という考え方があります。
メカニカルタークとは、18世紀のハンガリー人の発明家が発明したチェスの対戦ロボットです。つまり18世紀に発明された知性機械です。
Deepblueが登場する二世紀も前に無敗を誇っていたのですが、実はその機械をあけると中にはチェスの名人が入っていました、というお話です。
おそらくこの話を発展させたのが、東浩紀さんと桜坂洋さんの「ギートステイト」におけるゲームプレイワーキングです。
ゲームプレイワーキングとは、ゲームを遊ぶことによってそれが実用的な知的作業にマッピングされ、その行為に対して対価が支払われるというもので、東さんたちの予想では40年後の世界ではゲームプレイワーキングに従事するギート(ギークとニートからの造語)の人口が何万人かに達している、という話です。
で、少し思ったのですが、実際に現在ではこれはRMTや無料制でアイテム課金のゲームで似たような世界になっています。
RMTはまさにゲーム内のアイテムを現実の通貨で販売できるわけで、ということはゲームをすればするほどお金が儲かることになります。生活することも不可能ではないらしく、実際に大陸系の人々がRMT狙いで大量に人気ゲームに「出稼ぎ」に来る、という話は絶えません。
無料制のゲームの場合、通常は利用料金のかかるゲームを無料で遊んでいる人の人数の方が多いことになります。
いままでの考え方ではこれは成立しにくい考え方でしたが、ネットゲームが乱立してくると、むしろ積極的にゲームは無料化したほうが儲かる、という世界も生まれてきました。
ネットゲームの場合、周りに人がいないとゲームとして成立しません。
昔はゲーム会社の運営者自ら時折「さくら」になってゲームに参加し、初心者を導いたりしていたのですが、そのやり方は明らかに経済的合理性に欠けますし、多くの人数をカバーするのは物理的に不可能です。
そこでゲームへの参加を無料化することによってユーザーを長期的に獲得し、ゲームプレイ人口を単純に増やせば、「さくら」をやる必要はなくなります。
実際、かなりわかりにくいゲームである「アルテイル」も基本プレイが無料なのでしだいに人気が出て定着し、今は定番のコンテンツとして成立しています。
すると無料で遊んでいる人は有料で遊んでいる人を無意識のうちに「もてなして」いることになり、少々乱暴ですがこれはゲームをプレイしながら世界の成立に僅かながら貢献している、つまりゲームプレイワーキングをしている状態と言えなくもありません。
いまのところその対価は本来有料であるゲームが無料で遊べるということだけです。
もっとも、ゲームのホストをゲームプレイヤーが務めるというシステムでは、それ以上の対価を得ることは難しいでしょう。
そのうち、UD-NETのような超複雑な問題を分散的に解くときに人間の直感力や論理的思考力が必要な場面になって、あるパズルをクリアするごとに小額の賞金を得ていく、みたいなことはありえます。
アマゾンのメカニカルタークも、まさしくそういうことです。
例えばどんなことかというと、ある絵を見てそれが何の絵であるか判断するのは、まだ機械よりも人間の方が得意です。
たとえばWebページを表示して、そのページの中で最も特徴的なフレーズを抜き出せ、見たいな仕事はメカニカルターク向きです。
もしかすると、適当に送られてきたメールに適当に返事をしろ、というのもメカニカルターク向きかもしれません。出会い系のさくらみたいな仕事はまるごと投げられるかもしれませんね。そんなことをしたら出会い系のユーザーは軒並みいなくなると思いますが。
セカンドライフ内にはびこるアルバイトも、メカニカルターク的になってきました。
たとえば最近はダンスクラブで踊るだけで時給がもらえるバイト、というのがあります。
もしくは椅子に座っているだけで時給がもらえることもあります。
こういうのはなんのためのバイトかというと、単なるにぎやかしです。
それでもセカンドライフで暇をもてあましている人たちはこういうバイトをこまめにやってお金を稼ぐのです。セカンドライフのお金は現実の貨幣に変換できるので、これもゲームプレイワーキングの原初の姿と言って良いでしょう(もちろん本編のゲームプレイワーキングは、自分のやっているゲームと解決すべき問題のマッピングが隠蔽され、おかしな意図で結果を操作できないようになっています)。
でもたとえば「出会い系バー」みたいなのを現実に開いても、人は来ないでしょうが、あえて無料のスペースにむしろやってくる人たちに現金を渡すことで人を集め、そこにコミュニティを作ってコミュニティで何かを宣伝して稼ぐ、というようなことは既に始まっているかもしれません。
たとえば無料の喫茶店でもいいわけです。
その喫茶店は無料で、誰でも好きなだけコーヒーやコーラを飲み、タバコを吸い、漫画を読んだりネットしたりすることが出来ます。
しかし入場できるのはたとえば女子大生か、女子大生の同伴者に限定されます。
するといとも簡単にターゲットマーケティングができるので、そこを企業のマーケット調査に解放したり、もしくはそのカフェをラップして広告化したり、ということに使えます。
昨年の弊社の三周年記念パーティは六本木ヒルズ最上階のMADO LOUNGEで行ったのですが、この手の店はときどきパーティなどで貸切になります。
そのときの稼ぎというのもさほど悪くないでしょうから、これを年中やっていると思えば良い。
たとえば渋谷の真ん中とか、秋葉原とか、とにかく特定の属性の人がたくさんいる場所にこの手の「パーミッション喫茶」を作って、そこでお茶を飲ませる費用をたとえば週あたり100万円から300万円として、月に400から1000万円の売り上げがあるとすれば、まあ成立しなくもない話です。
これがネットゲーム的なものになると、例えば男性客はお金を払って、女性客は無料の喫茶店、いやむしろ女性客には積極的にお金を払って集めて男性客と話をしてもらう・・・・となるとこれは単なるキャバクラです。
宣伝媒体として考えると、無料で喫茶店を開いても、却って入り浸る人が増えたりして逆効果の可能性も否定できません。
とはいえ、どんな人を集めるか、ということに価値創造があります。
コンラッド東京のラウンジは一杯1000円です。しかも汐留のかなり不便なところにあります。
でも僕は敢えてそこにでかけて、銀座を見下ろしながらコーヒーを飲むのが好きです。
この気分に引き換えると1000円は安いと思いますが、そう思わない人もいるでしょう。逆に僕は街の狭いコーヒーショップの硬い椅子に座っているのは1000円もらっても嫌です。
だからコンラッド東京のラウンジにはきっと僕と同じような価値観の人が集まるのだと思います。
同じように、秋葉原のメイド喫茶に集まる人も価値観を共有しているでしょうし、ドンキホーテに行く人もそうでしょう。
無料喫茶店を単なる広告媒体として考えると絶対的人数は少なくなるはずですが、その場所にきてその時間を過ごす、という共通価値観があることが重要です。人数ではなく、その人たちがその店をベースに情報を発信していく、そういう人たちに直接アピールできる、ということが重要です。
これからは単なる数量ではなくて質を追求する時代と言えるでしょう。
これは実店舗に限らず、ネットにもいえることです。
たとえば先日、とあるニュースサイト関連の会議で、ページビューがないと広告がとれない、というような話が出たことがあります。そしてページビューを稼ぐために、毎日記事を更新しなければならず、その結果記事の質が低下するのだという話がありました。
しかしよく考えれば、なぜ毎日記事が更新される必要があるのかといえば、それは毎日見に来てもらうとページビューが上がるからです。
記事の内容も豊富な方が一日に何度も訪れてもらうことが出来るからです。
しかし今、そのような行動パターンをとる人はむしろRSSリーダーを使うようになりました。
すると、更新された情報の中でも、特別興味のある情報にしかアクセスしなくなります。
毎日更新することが単に無意味になるだけでなく、質の低い記事自体の価値が今までよりもずっと低くなります。
ということは闇雲に更新するよりも、確実に読んで欲しい人に読まれる記事をコンスタントに出していくことが必要です。
PVが絶対的価値の指標であった時代は終わったのです。
たとえば単なる更新量で言えば、小飼弾さんの404 Blog Not FoundはITメディアのそれと比較すればぜんぜん適わないわけですが、何か書けば必ずといってよいほど、はてなブックマークのホットエントリーに上がってきます。
これはそれだけ「はてな市民」の心を打つ、つまり「はてな市民」にとって有用性の高い、質の高いコンテンツが書かれているということです。
ブログではないですが、アップルやドコモなどの注目企業が出すプレスリリースというのもそうです。
注目企業はそもそも注目されているため、なにか行動するたびに話題になります。
しかしニュースサイトと違って毎日更新されているわけではありません。企業のサイトというのは毎日更新するものではないのです。
しかしなにか行動すれば、情報を発信すれば、確実に注目を集めます。
企業にとってはそれで十分なのです。
うちの会社で配信をサポートしている、電脳空間カウボーイズも先週10万フィードに達しました。これはPodcasting Juice経由のフィードだけの計測ですから、iTunes Music Storeから直接みていたり、Last.fmから見ている人は数に含まれて居ません。
10万フィードというのは、つまりなにか更新するたびに少なくとも10万台のマシンに電脳空間カウボーイズという1時間番組が配信され、視聴されているということです。しかも下手な深夜番組よりも真剣に視聴している方が多く、この番組を聴いてその内容を会議でしゃべっただけで主任に出世した、なんていう笑い話もあるほどです。
電脳空間カウボーイズは週に二回配信されているだけですが、これはITmediaで僕がブログ形式の連載をやっていたときよりも遥かに多くの人に到達するメディアとなっているということです。
ITmediaのブログは更新してある程度のアクセスを集めると、ITmediaのトップに掲載される仕組みになっていました。ITmediaのトップといえば、この業界で最もアクセス数の多い、いわばプレミアムポジションです。
そこに出たときよりも、地道かつ確実に配信し続ける10万フィードの方が、"メッセージを伝える手段"としては有用なのです。
そもそもiPodを持ってないと聞けない、またはiTunesという全く無用のツールを使わないと聞けないPodcastという特殊な媒体で、全くの個人が作っている番組がそれだけのフィードを集めたこと自体が注目に値します。
この媒体は広告価値がいまのところ全くないため、あいも変わらず全員ボランティアでしゃべりたいことをしゃべりたいようにしゃべっているのですが、たとえばここに広告を出したい、と考える人もいなくはないでしょうし、そういう人にとっては、10万PVよりも10万フィードの方が価値があるのだと言えるでしょう。
10万フィードというのは、要するに10万ユニークユーザーですから、そこだけ考えても驚くべき数字と言えます。
いまどき10万人に到達するメディアというのは、ちょっとした週刊誌でもなかなかありません。
週刊アスキーは30万部発行されていますが、その1/3に到達するということになります。
ひょっとすると週20万ダウンロードというのは、数としては週アスの実売より多いんじゃないか?
と思ったり思わなかったり。
連休脳なのでとりとめもない話になってしまいました。
落ちはありません
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