コモディティ化したニュース
昔、地下鉄サリン事件だったかなんだったか、忘れましたけど、父が沢山の新聞を買ってきた日がありました。
そのとき僕はこう聞きました。
「どの新聞を見ても同じニュースが載っているのに、なぜそんなに沢山新聞を買うの?」
すると父はこう答えました。
「ニュースは同じでも、見解が違うんだよ」
それでなのかどうか知りませんが、しばらく二紙または三紙を購読する日々が続きました。
先日の堀江被告の判決に関して、僕は病室でテレビを見ながら、「ひさしぶりに面白いニュースだな」と思って、新聞を沢山買ってきて貰いました。これはまさに在りし日の父の心境と同じだったのでしょう。
しかし、いくつかの新聞を読んでいる内に飽きてきてしまいました。
それで実感したのです。「ああ、ニュースってコモディティなんだな」と。
ふと思って、病室の56Kbps回線でテクノラティを見てみると、やはりこの裁判の注目度は高かったようでした。
とはいえ、ブログでの反応は通り一遍な印象のある新聞社のサイトなどとは違って、賛否両論、ケンケンガクガクといった感じなのですが、人々の感情がむき出しになっているだけに、新聞社のあたりさわりのない、よく言えば公正っぽさのある表現よりも刺激が強く、楽しめる気がします。
これだけニュースが流通してしまうと、そもそもニュースソース自体の差異がなくなり、コモディティ化した状態になります。
批評家の東浩紀さんは、新聞4紙を併読されているそうですが、僕にはとてもそのパワーはありませんし、RSSリーダーにもasahi.comしか入っていません(それもどうなんだろうという気もしますが)。それよりも良く見るのは、2ちゃんねるのニュース速報+ですね。あれも一種のソーシャルニュースなので、意外と並んでいる順番が重要な気がします。
みんながコメントする=興味・感心がある、という尺度でみると、頻繁にコメントされるものほど上位に上がってくるわけですから、それが一種の評価関数になっています。
RSSでニュースを配信することになると、いよいよ広告がとれなくなります。
おそらく新聞社は今でも苦しい戦いを強いられていると思いますが、RSS中心の世の中にシフトしていった場合、RSSそのものに広告を混入することを考えなくてはなりません。
これは既にいくつかのブログサービスなどでは公然と行われていることですし、いずれ当たり前のようなサービスになっていくでしょう。
あと、最近社内のRSSリーダーに細工して、社内から最も見られたWebページをランキング表示する仕組みを入れてみました。
これが結構印象的な結果になって面白いです。
欠点は、僕が戯れに見ているくだらないページなども全てランキングに反映されてしまうことです。
ニュースそのもの、つまり事実そのものに著作権はないので、著作権を主張するとしたら、ニュースについて書かれた文章そのものや、論評、感想などです。
そうすると、わざわざ取材して記事を書いているのに、その成果はいともたやすく流通し、流用されてしまうことになります。
新聞社が取材して、最も価値が高くなるのは、これからは報道写真になるかもしれません。
話題になっている事件の写真が見たいから新聞社のRSSを購読する、という動機が生まれる可能性もあります。
とはいえ、いまの新聞社はRSSに全文を入れて配信してくれないのであまり意味がないんですけどね。
手術も無事終わり、復帰に向けてリハビリをする毎日です。
本当はもっとプログラムを書きたいけど、両手を使うともの凄く疲れるのでちょっと無理でした。残念
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