+D blog終焉に思うこと
+D Blogが突然終わりました。
突然、というのは、終わる二週間前に告知された、ということですが、まあやっぱりひとつのメディアが終わるにはあまりにも短時間だったなと思います。
あまり詳しい話を書くのも難しいと思いますが、基本的に+D blogには更新の義務もなく、他の人はどうか知りませんが、個人的には原稿料もなく、もちろん逆に広告料を払ったりということも一切なかったわけですので、サイト全体の維持コストが問題になったことはないのではないかと思います。
ではなぜなくなったのか、僕の立場では「よくわかりません」としか言えません。
ただ、なんとなくではあるものの、その事情を想像することはできなくはありません。
Blogをメディアとして取り込むというのは、ふたつの難しい問題を受け入れることです。
ひとつは、編集機能の排除、もうひとつはコメントとトラックバックという二大「ソーシャル落書き」を許容するということです。
ここで編集機能というのは、もちろん「編集部」が持つそれを意味します。
僕も過去、様々な媒体に記事を寄稿させていただいていますが、編集部の持つ編集機能(編集能力)は非常に強力です。
内容のウラをとったり、過激すぎる表現をやわらかくしたり、大多数の人が読んでも不快感を抱かず、スポンサーからも怒られないという絶妙なバランスの「商品」に仕立て上げるのです。
Blogのようにいつでも好きなタイミングで更新できるものにしてしまうと、この編集機能は排除されることになります。
編集部の負担は大幅に減りますが、その分、記事の質は保たれず、どうでもいい話やまるっきりの嘘、明らかな勘違い、もちろん誤字脱字などがそのまま掲載されてしまいます。
その結果、ダメージを受けるのは著者と編集部の両方です。
さらに良くないことに、トラックバックやコメントまでもがノーチェックで掲載されてしまいました。
コメントがあることがなぜよくないかというと、コメントを無制限に許容することによって、それは編集された「商品」としての記事ではなく、道ばたに転がっている落書きだらけの紙くずに成り下がってしまうからです。
ネット上で無制限にコメントを許すのは、性善説に基づく世界観がなければなかなか難しいものです。
そして実際に、性善説はしばしば否定されます。誰が書いたのか全く特定できないコメントは、あらゆる目的での攻撃武器に鳴り得ますし、さらに誤読や誤解を生む原因ともなります。
もっと悪いのはフレイム、いわゆる「炎上」という現象が起きることです。
コメントがコメントを呼び、詭弁や揚げ足取りや人格否定や、ありとあらゆる罵詈雑言による戦闘が行われ、もとの記事の良さも悪さも同時に喪われてしまいます。
僕がIT media +D blog上でコメントを積極的に許可したのは一度か二度、そのときは真に人々の意見を求めるべきと自分で判断したときだけでした。
しかし、雑誌の頃から変わっていませんが、コメントを付ける人というのはそれが良いコメントであれ、悪いコメントであれ、充分な責任能力も自覚も持たずに書いてしまう人なのです。
+D blogには僕の他にも企業の代表者の方が沢山書いておられましたが、企業の代表者のブログでどんな理由であれ罵詈雑言が飛び交うというのは、会社の看板に落書きをされているようなものです。当然ながら、そんな事態は出来る限り避けなければなりません。
とはいえ、せかくblogの形態をとっているのだから、まるっきり「blogらしさ」がなくなってしまってはつまらないだろうと思い、トラックバックだけは許容していました。
ところがこれも良くない。
ココログの場合、トラックバックは掲載される前に確認しないと掲載されないので、明らかなスパムや文脈を無視したトラックバックは事前に排除できるのですが、+D blogはそうではありませんでした。
終盤になるとスパムすら排除されずに掲載されるようになり、これはもう編集部にやる気がなくなってしまったんだなと思いました。
いわゆる「商品としての記事」にトラックバックがつくのは善し悪しです。
たとえば商用サイトにはペイドパプと呼ばれる、メーカーからPR費を頂いて書き下ろしている製品の紹介記事があるのですが、それに否定的な内容のトラックバックがつけられてしまったら、メーカーはカンカンでしょう。メーカーを怒らせてしまうと、メディアがメディアとして成立しなくなります。
また、そもそもある事実に対する見解というのは、もともと複数あるものです。
これにいちいち反対意見のトラックバックがつくようになると、もはやなにがなんだかわからなくなります。
最近はキーワードを検索してヒットしたものに片っ端からトラックバックをつけるという、スパムのような仕組みまであり、全く文脈を無視したトラックバックが跳梁跋扈しています。
引用や反対意見があっても、トラックバックするとは限らず、こっそりリンクされることも少なくありません。
編集部が編集という仕事を拒否した結果うまれた、無法なトラックバックやコメントの乱立は、メディアとしての存在意義すら問われる重大事件であったと言えるでしょう。そのうえ、場合によっては自由な発想の人々が平気で広告主の利害を無視した発言を乱発。広告主からクレームがきたらもうどうにもなりません。
僕が編集部の人間ならこう考えます。
「もう疲れたな」
と。
情報が氾濫する時代だからこそ、それを適切に見せるための「編集能力」というのは、その重要性を増して来てると言えるでしょう。
なんでもかんでもコメントやトラックバックを受け付けるという仕組みはメディアとして非常に危険な行為です。
これもまた、Web2.0がもたらした時代の徒花なのでしょうか
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