ココログで書くのはやめにします
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最近、数週間に分けてプログラマ向けにオブジェクト指向基礎講座というのをやっています。
まだ二回目ですが、「ほんとにみんな理解してるかな?」と思って抜き打ちテストをやってみました。
基礎的な問題とあって、とりあえず殆どの人が満点だったのですが、何人か間違った答えの人が居ました。それが意外な人だったりすると、驚きとともに恐怖を感じます。
こういうテストは定期的にやらないとダメだな、と思いました。
それまで社内研修制度では、"UE大学"と称して、ユーザーインターフェースの講義などを不定期にやってきましたが、意外とこういう基礎的な知識に対する確認が欠けていたな、と反省しました。
あと、社内で使う用語の統一なども地味ですが大事な問題です。
うちみたいな零細企業では中途採用が殆どですから、それぞれ育って来た文化や背景が違います。
そこで「インスタンス」と言ったり「オブジェクト」と言ったり、「サブクラス」と言ったり「派生クラス」と言ったりといった用語の不統一があると、誰がなんのことを言っているのかぜんぜん理解できなくなります。
プログラマはプライドの高い生き物なので、「○○ってあるだろ?それが△△すると□□になるんだ」みたいなことを言われた時、ひとつかふたつわからない単語があっても最後のひとつだけ解ればなんとなく解ったような顔をして頷くことがあるのです。
しかし当然、これは論理構造を成してない訳ですから、解っているどころか、解っていないよりもずっと危険な状態なわけです。
そういうシグナルを未然に見つける方法として、筆記テストは大事だと思いました。
社会人になると、筆記テストを受ける機会なんてまずないし、試験勉強することも殆どありません。
しかし試験勉強というやつも、考えてみると決して無駄ではないわけですよ。
僕も三年くらい前に東大のコンテンツ創成科学産学連携教育プログラムを受験したときは、殊勝にも試験勉強なんかをしたりしました。といっても、対策の取りようがなかったんですけどね。
でも、試験のためにした勉強も、意外と無駄にはならないものです。
とりあえず現在の技術社員たちを一期生として、だんだんレベルを上げていくことで、会社全体の技術レベルを底上げできたらな、と思っています。
同じ出力が出るのでも、理解の深さによって微妙にコードが異なってきますし、それは確実に理解する前と理解した後では異なるものですから、自分自身が勉強し続けることも含めて、これを確認し続けるのは重要だと思いました。
毎週教材を作るのがけっこう大変なんですけどね。
そこはまあ昔取った杵柄というか・・・
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結局、様々な誘惑に負けてiPod touchを現地購入してしまったわけですが、 やっぱりいくつか気付いた事があるのでiPod touchの入力テストも兼ねてつらつらと。
まず、入力フォームの大きさ。
画面の文字に対して小さすぎるので入力するには相当拡大しないといけない。
携帯Twitterのようにシンプルな画面のものでもかなり拡大する必要があり、明らかにおかしなことになる。
Twitterなどは本来、他の発言をみながら入力する性格のものだから、これはとても不自然だ。
今もココログを書いてるが、内容の一部が中途半端に表示され、大変不便だ。
ここは入力フォームの内容は容赦なく折り畳んでしまう日本のケータイの方に一日の長があるといえるだろう。
英語で入力しているときにきにならなかったが、いざ日本語入力してみると不便に感じたのが連文節変換がないということ。
欲しい候補が無いときに単漢字変換もできない。
これは予想外に不便。
おそらく、IMEという概念がまだ確立されてないせいだと思うけど、これではとてもメール端末として使えない。
キーボードが英語モードに比べて小さくなってしまったのも操作性の低下に一役買っている。
グローバルなレギュレーションがあるんだろうけど、これはひどい。
たまに英語モードでURL等を入力するとウンデイの差で驚く
非英語圏でうまれたというだけなのにこの扱いは酷い
でもこのあたりはきっと増井さんが解決してくれるであろう。
入力の不便さだけみると、いまのところはなんとWindowsMobileの方がずっと使いやすい。
ちょっとした改良でiPod touchもかなり良くなると思うが、意外とこのちょっとした改良という奴に時間がかかるモノなのである。
その間に、他社は追い付けるだろうか
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家に帰ったらLeopardが届いていたので、早速インストールしてみました。
しかしファミリーパックで22800円とは安い。
WindowsVistaとLeopardを交互に見ると、やはりMicrosoftとAppleの製品哲学の違いというのが如実に反映されています。
UIから全て作り直してしまうVistaは既存のWindowsユーザにもそれまでと異なる振る舞いを要求します。
その結果Vistaへのスイッチングコストは上がり、アップグレードしたときに新機能によって得られる恩恵よりも「遅くなった」「わかりにくくなった」というデメリットの方がより強調されてしまいます。
OSが強化されればそのぶん処理速度が遅くなってしまうのは仕方が無いのですが、遅くなるだけの十分なメリットを提供できなければ、そのアップグレードは不必要なアップグレードとなってしまうのです。
Leopardをインストールした直後の感想は「何も変わってない。しかし確実に良くなっている」ということです。
アップグレードしたことによるオーバーヘッドの増加は殆ど体感できないほどです。
そのかわり、Spacesやスタックなど、新しい機能はきちんと使えます。
この感覚が実に心地よく、いつのまにか空気のような存在としてアップグレードを受け入れてしまいます。
追加された機能は決してそれほど多くないのですが、それでも確実にいろいろなところが少しずつ良くなっている感覚はあるのです。
アイコンやウィンドウ、メニューバーなどが少しだけデザイン変更され(正直この部分は変更する必要は無かったと思いますが)、それまでの機能はそれまでと同じように安心して使える訳です。
この程度の変化しかないとすると、きっと次の10.6や10.7から10.9あたりまでは、安心して今の使い勝手のまま使えるんじゃないかと期待させます。
是に比べると、WindowsVistaは、せっかくこの新しいインターフェースと格闘して慣れることができたとしても、また五年後にはご破算になってしまいそうで気後れします。
知人のあるプログラマなどは、常に新しいバージョンのWindowsが出るたびに、真っ先にWindows95スタイルへUIを戻す方法を探すほどです。
さらに最近はiPod touchやiPhoneなどとの連携も考えると、もうMacOS以外考えられない自分に気がつきます。
OQOもいいハードなのですが、OSにMacを採用していないことだけが唯一の欠点と言えるでしょう。
Appleから正式にOQOくらいのコンパクトなマシンが出れば、個人的にはWindowsを使う理由はなくなってしまいます。
Appleの製品哲学は一貫していて、「良い物は時代を超えて生き残る」ということを感じさせます。
Microsoftの製品のなかで、昔からUIが殆ど変わらないのはOfficeだけです。意外にも、Microsoftはこの点に関してはかなりコンサバティブなのです。
そのOfficeにしても最新版ではかなり新しい試みが導入され、ちょっと難しいことになっています。
Appleもときどきへんなことをします。
新しいiMovieはあまりにもUIが従前と異なり、古くからのiMovieユーザである僕はかなり混乱したあげく、使うのをやめてしまいました。
あれだけ違うUIを用意するなら、もはや違う名前のソフトにしてほしいと思ったほどです。
かつてAppleWorksというOffice互換のソフトを提供していて、UIをがらりを変えたiWorkをリリースしたのですから、iLife系のソフトに関してもUIはせめて継承してほしいと思いますね。
UIを維持し続けながら進化させていくというのは確かに大変難しいことなので、このあたりのさじ加減は本当に難しいのだと思います。
Youtubeなどは本当に慎重で、新しいUIをβとしてリリースしながらも、未だに古いUIを提供し続けています。
UIの変更にはこのくらいの慎重さがあってしかるべきでしょう。
正直言うとLeopardのくすんだ色のタイトルバーは僕はあまり好きではありません。
白く戻す方法を真っ先に探しましたが、どうもすぐには見当たらず、消化不良です。
見た目の些細な変更で、確かに「新しい」という感じはするんですけど、デザインも普遍的なものは普遍なはずなので、ここをあまり軽薄に変えてほしくない。特に色合いというのは、毎日使う物ですからこれがあまりにも激しく変わってしまうと、やっぱり激しく使いにくいわけです。
そのあたり、日本の携帯電話は半年に一度バージョンアップするにも関わらず、同じ携帯メーカーの同じキャリアの端末ではUIが踏襲されています。これも善し悪しですが、少なくとも同じ感覚で新機種を使えることは大きな安心感につながります。これはそれほどまでに大切なことなのです。
やっぱりVistaをインストールしたマシンは黒すぎて使いにくい印象なんですよねえ。
それに比べると、UIがずっと変わらないYahooのトップページやGoogleのトップページはなんだかとても安心して使える気がするんです。
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POBox、そしてiPhoneの日本語入力インターフェースの開発者として高名な増井俊之さんと取り合えたことは大変な収穫だった。
久しぶりに物理的に逢った江島健太郎氏も元気そうで良かった。
アメリカでしか売っていない玩具を夢中になって買いまくった。そのぶん荷物が凄く増えてしまって、カードの限度額を使い切ってしまうんじゃないかと心配になったけど、後悔はしていない。
CTIA Wireless IT&Entertainment のイベントでは、FacebookのCo-Founderのプレゼンを見た。
とても見応えのあるプレゼンだった。
Facebookは今全米で最も勢いのあるWebプラットフォームだ。
もともと大学生専用SNSとしてスタートして、一般人向けにも解放された現在では5000万人もの加入者が居る。この数字をそのまま信じたとして、アメリカの人口の1/4である。日本の携帯電話キャリアの会員数にも匹敵する。
Facebookの成功の秘訣はいくつかあるのだろうが、注目を集めた秘密はプラットフォーム戦略だろう。
developer.facebook.comに行けば誰でもfacebook向けのwidgetを作ることが出来る。
そのfacebook向けwidgetで課金しても構わない。
全米のWebプログラマーの90%がfacebook向けのwidget開発の経験があるのだという。
「どこを見てもfacebookだらけだ」
シリコンバレーで働くあるビジネスマンはそう言った。それくらいに存在感があるサービスだ。
日本には、こうしたWebAPIを通じたWidgetによる緩い連携でビジネス展開をする企業は少ない。
辛うじてリクルートがWebAPIをいち早く公開しているが、これがどれだけ彼らのビジネスの役に立っているかは今のところ解らない。
その他の企業に関して言えば、RSSを出すのが精一杯。しかもそれもまともに出せているとは言い難い。
日本にもこうしたオープンなビジネスプラットフォームの整備は急務である。
以前もブログに書いたことだが、ソーシャルネットとはソーシャルOSなのだ。人々の生活基盤となる存在である。
今の日本のWeb環境を俯瞰してみると、Facebookのように魅力的なWebアプリケーションプラットフォームがないのだ。
強いて言えばモバイルコンテンツだ。しかも公式サイトの。
しっかりした事業基盤と、APIが整備され、しかも膨大なユーザによる市場を作り出している。
反対にアメリカにはここまで進んだモバイルコンテンツプラットフォームはない。
彼らには、いまのところまだコンテンツ管理システム(CMS)とコンテンツマーケットプレイスの区別が付いていないようだ。いまのところはその必要があるほど複雑なコンテンツは提供されていない。
「今はモバイルコンテンツバブルの時代だ。まるで2000年代初期の日本のようにね」
シリコンバレーを拠点に活動するモバイルコンサルタントのマリオ・タピアはそう言った。
実体のないコンテンツが溢れている。しかしそれでも金を生んでいる。だからそこに人が群がる。群がる人がまた別の人に金を払う。投資されて得た金を、さらに同業種へ再投資する。まさにバブルの構図だ。
とはいえバブル崩壊後も日本に土地とビルが残ったように、アメリカのコンテンツバブルが崩壊したあとも市場は残るだろう。焼き畑農業のようなものだ。ちょうどAtariの粗製濫造によってバブル的に拡大した市場が、任天堂の巧みな品質戦略によって開拓されたのと同じようなことがまた繰り返されるだけだろう。
今では信じられないかもしれないが、Webの世界にも似たようなバブルとその崩壊が既に逢った。
「ドットコム・クラッシュ」と呼ばれる第一次インターネットバブルの崩壊だ。
それでも本当に力のある企業は生き残ったし、これからもそうなるだろう。
重要なのは、まわりに踊らされず、しっかりと事業の芯を太くすることだ。
意外なことに、アメリカはシリコンバレーであってもまだ高速回線の普及率は低い。
家庭用光ファイバーなんてまだ実験段階らしい。その点ではここ数年で日本は韓国並みに急発展をしてきた。いまどき光ファイバーでない家なんか想像できない。たとえ家にそれが引けなかったとしても、今はイーモバイルがある。イーモバイルの通信はアメリカの下手な無線LANサービスよりずっと安定していて、高速だ。
CTIAでは全くと言って良いほど日本企業を見ない。Synbianのブースで日本のケータイ端末がSynbianOS採用例として3機種ほど展示されているのみ。
強いて言えば中島聡氏率いるUI Evolutionが日本人系の企業と言えるが、拠点も資本も完全にアメリカの会社である。
端末メーカーはノキア、モトローラ、RIM(ブラックベリー)の存在感が圧倒的で、これもこちら側の縮図という気がした。
日系企業の全米モバイル進出には以前かなり深く関わっていたこともあり、歯がゆい思いだ。
本筋とは全く無関係だが、ひとつ面白いデバイスがあった。

NuroSkyは脳波を検出するデバイスで、開発キットが100万円弱と割安で、量産チップは数千円とかなりローコストで脳波を検出できる。
実際、デモを体験したが、念じることによって画面上の物体を自由に浮かせたりすることができる。
脳波もここまできたか、という感じである。
帰りがけ、フィッシャーマンズワーフで観光をした。
「メカニカルエンターテインメントミュージアム」を見つけて、しばし散策。
びっくりするくらいたくさんの「メカニカルエンターテインメント」があった。

これはリモコンでブルドーザーを操作して玉を所定の位置に動かすゲーム。
しかし動かしてもスコアの計算はされないし、なんの演出もない。
こんなシンプルなものでも、充分「メカニカルエンターテインメント」として成立していたのは驚きだ。
この延長線上にアーケードゲームがある。

同じもので、物理的なクレーンを使った元祖UFOキャッチー的なものもあった。
コンピュータエンターテインメントの萌芽はこの頃芽生えたのだろう。
サンフランシスコを旅していて、思いがけない出会いや、発見があった。
近藤君という若い血がまじったぶん、いつもより刺激的で有意義な旅だったと思う。
Infoteria USAの江島健太郎氏のオフィスを訪れたのも良い収穫だった。下記ビデオの後半では増井俊之氏も登場する。ちなみに僕は増井氏とはこのときが初対面だ。
Ustreamはいつでも使えるパーソナルビデオレコーダーと考えると非常に便利である。
記録と同時にアップロードされるため、保存や配布の手間がない。
ビデオを撮る以上、どこかで再利用したり、見たりしたいはずだが、意外とテープやSDカードだと、コピーし忘れて結局は消してしまう、なんてことも多い。
Ustreamで撮影するととりあえずその心配だけはない。これはかなり快適である。
そのうちUstream専用カメラはでないものか。
カメラ自体にWiFiが内蔵されていて、リアルタイムでFlashエンコーディングして送信するのである。
今回、OQOでそれをやろうと思ったのだがOQOの内蔵無線LANが意外と貧弱でダメだった。
国内でいちど試して見たい
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詳しくははてな日記:UEIは来年もデジタルエンターテインメントアカデミーで講座を開設しますを参照。
良い学校がなくなってしまうのは正直言って寂しいです。
僕は10年くらい前から文科省のプロジェクトやCESAの教育部会に参加していろいろなコンピュータ関連の専門学校を見て来たけれども、DEAほどストイックなゲーム開発者養成機関は存在しませんでした。
国は声高に文化振興、アニメ、ゲーム、映画だと叫ぶけれども、PS3は失速し、Wiiも低調、おまけに教育機関まで閉校の憂き目に遭うのは、時代の流れといえばそれまでだけど、まるで昔の紙芝居屋さんや講談師みたいに時代の徒花として消えていくのかと思うと物悲しい気分になります。
学校がなくなってしまっても、"マレーの虎"こと山下中将の陸軍中野学校や坪内逍遥の東大予備門のように、母校の名が代わり、やがてなくなってしまったとしても、卒業生たちがその教えを持って活躍し続けることに拠ってなお歴史に輝ける存在となることもあります。
33%というきわめて厳しい卒業率を無事に達成し、業界で活躍する卒業生たちは一層の愛校心を持って活躍を続けて欲しいと思うとともに、あと一年というところで力を抜かず全力で教育にあたろうとする同校幹部の方々の熱意にはいつも以上に頭の下がる思いです。
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彼女と出会ったのはもう十年前。
僕が駆け出しの技術者と幽霊大学生とプータローをかけもちしていた頃。
恵比寿の名も無い公園のブランコに揺られながら、何人かの仲間でぼうっとただ夜が空けるのをまっていた頃。
「清水さんは将来なにがしたいんですか?」
と聞かれて
「人類を補完したい」
と言ったような頃。
「真面目に答えてください」
と言った彼女の笑顔はとても素敵だった。
「真面目さ。科学技術とネットワークの発展は、人類の進化そのものだ。最先端の世界で科学技術を操り、技術で革命を起こしていくことは人類の足りない部分を補完しているとも言える。人に翼はないが、飛行機によって補完されるのと同じだよ」
僕はエヴァンゲリオンとおなじくらい彼女が好きだったけれど、そのとき僕は別のことに夢中で、いつのまにか彼女は結婚してしまった。
好きにもいろいろある。
カレーが好き、お父さんが好き、ガチャピンが好き、コンピュータが好き。
そんな中でもなんていうか、まあそのことについてあまり細かく説明するのも野暮というものだからそのへんにしておくけど、何年か前、彼女の旦那がやってきて、僕の会社で働きたいと言った。
「いや、でも君は今、超一流の会社で大きな仕事をまかされ、リーダーになっているじゃないか。僕はいま、のどから手が出るほど優秀な人材が欲しいが、とても君の能力に見合う給料を払う余裕はない。それに君は、結婚して家庭も持っているじゃないか。しかもあんな遠くに住んでる」
と言った。
「いや、いいんです。僕はそれでもこちらで働きたいんです。清水さんと働くのに妻が反対するなら、僕は離婚すると言ってやりましたよ」
とまで言う。
僕は怒った。
「君が良くても、それとひきかえにあの子が悲しむのなら、僕は君を絶対に雇わない。君の能力はとても欲しいけど、彼女の幸せを犠牲にしてまで僕は仕事をしようとは思わない。僕が来るなと言えば、君は絶対に来れない。僕はこの会社の筆頭株主で、社長だからだ。だからこの話はこれで終わり。いつか僕の会社が十分立派になって、君が家庭を持って働くに相応しいくらい大きくなったら、そのとき考えよう」
僕が席を立った後、その場に残ったスタッフから聞いた話では、彼女は男に向かって「いいの?本当にいいの?」と何度も聞き返していたという。もちろんそれは愛しているから聞くのだろうし、愛しているからお互いにとって辛いのだろう。愛しているから好きな人には自分の好きな仕事に打ち込んで欲しい。けれども自分のことも愛して欲しい。愛される方も、愛する側も、同じだけの葛藤がある。
仕事か愛か、人は常に選択を迫られる。人生の中でなんどもこの選択は出てくる。
どちらを取るか、そのときにならないと解らない。しかもそのとき決めたことを後で何度も思い出す。それで良かったのか、良くなかったのか。
美しく、格好の良い思い出ばかりではない。むしろ大半は無様で、情けないことの積み重ねだ。
けれども人はそれを選ぶし、それが人生を作っていく。
今日、ふと受け取り箱を見ると、見慣れない黄色の封筒が乗っていた。
「アマゾンでなにか注文したかな?」と思って中をあけると、一冊の本が入っていた。
手紙もついていて、それでたいそう驚いた。
この本の著者はあの子だったのだ。児童文学賞に入選したのだという。
小説を書く趣味があるなんて、ちっとも知らなかった。
けれども今思い出せば納得できるところもある。
なんども応募して、落選して、しばらくやめていて、それでも20代のうちになにか成し遂げたいと思って一念発起して渾身の作品を書き上げたそうだ。
年をとってなお思うのは、人との出会いは奇妙なもので、そしてひとつの出会いを大切にすれば一生続いていくのだなということ。
気の合う人と出会うことはなかなかない。
好きな人は大切にしていきたい。
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金曜から実家に帰ったりして連休ぼけしそうだったので、月曜日は平常通り出社しました。
一通り残案件をこなしたあと、社内ミニブログ"Ubitter"をさらに機能追加しました。
今回の追加ポイントは「ダイレクトメッセージ」の実装。
Twitterでは既に誰も使っていないと思われるこの機能ですが、社内ミニブログの場合にはとても有用です。
なぜ実装したばかりなのに有用だと解っているのか?
それは以前、これと全く似たようなものをドワンゴで作って使っていたからです。
1998年に僕が初めて作ったWebアプリケーションはSIMON(シモン)といって、ドワンゴの社内業務管理をするためのアプリケーションでした。
ちょうどようやくいろいろな人が忙しくなってきて、施設の管理やスケジューリングなど、いまでいうグループウェア的なものが必要になってきていた頃でした。
ログインすると顔写真がズラリとならぶ構成になっていて、GREEを見たときに「これってSIMONじゃん」と思うくらいに似ていました。デザインの手間がかけられなかったので白ばっかりというページ構成も含めて。
しかし最も重要なのは「ソーシャルなつながり」ではなく、メッセージに紐づいたメタデータを管理する、ということ。
たとえばある発言に対する答えは、Twitterだと@マークのあとにハンドルをつけて返すが、これだと取りこぼしがおおくなります。
「あーそうだな」とおもって今Twitter検索で@shi3zを調べてみたけど、かなり大量にとりこぼしています。
っていうかほとんど見たことない書き込みばかり。ショック。みんな無視してたわけじゃないのよー(言い訳)
そしてこれだけ見ても、一体全体なんに対しての返事なのかわからない。つまり会話のコンテキストがないんですよねえ。
Twitterが「つぷやき」という比較的どうでもいいことに限定しているサービスだからこれでもいいのだと思いますが、仕事で使う場合には万に一つも取りこぼしがあってはいけません。
「あの案件どうなってるのかな」→「@shi3z それならもうおれがやっといたよ」 みたいな情報を拾うのがそもそも社内ミニブログの目的なわけですから、これが拾えないと本末転倒です。
そういうわけで、今回は社内ミニブログではメッセージに対する返信をダイレクトメッセージとして扱うことにしました。
大前提として、部外秘の情報をここで扱わないことがあります。だって公開されちゃうから。
さらに各メッセージにメタデータを付記可能(ZEKEでいう、意味空間の動的な拡張機能を利用)
期限とか優先度とかもメッセージに付け足すことが出来るので、これをまとめるとそのままToDoリストになります。
ただしその案件を「やった」「やってない」というステータス管理は、残念ながらこの仕組みではまだサポートしていません。
でもそれももう一息かな
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実家に行く道すがら、新しいカーナビでID4ことインデペンデンス・デイを見ました(以下ネタバレ注意)。
この映画は何度見ても泣けてしまう。
そりゃね、宇宙人がブラウン管使ってるとか、宇宙人のコンピュータで作用するウィルスを数時間で作っちゃうとか、月面をUFOが飛んだだけで月面の砂が揺れたりとか(重力干渉と思っておくか)、大統領が戦闘機乗ったりとかね、科学的・論理的におかしいという部分は数あるものの、そういうことは置いておいて泣いてしまう。
特にクライマックスシーン。
飲んだくれでバカにされていたダメ親父のラッセル・ケイスが、最後の最後でUFOへのカミカゼ突撃を決意して言う台詞
「大統領、ひとつだけ頼みがあります。息子達に、愛してると伝えてください」
この台詞は何度聞いても泣ける。
それを言ったら、もちろん最終攻撃に先だっての大統領の演説。
「今日この日、7月4日に新たな意味を与えよう。単なるアメリカの独立記念日ではなく、人類の独立記念日とするのだ」
という台詞はやっぱり何度聞いても良い。映画のディティールにけちを付ければきりがないが、総合的には素晴らしいプロットだと思う。
ID4は愛の映画だ。
飲んだくれ親父のラッセルと息子たちの親子愛。デイヴィッドとコニー、ホイットモア大統領とマリリン夫人の夫婦の愛、ヒラー大尉とジャスミンの恋人の愛。これだけ主要な登場人物が出てくると映画は混乱してわけのわからないものになるはずだが、とても見事に調和している。全ての登場人物が必然のように思えてくる。
それは人類共通の敵、エイリアンに対峙したとき、人々の目的がひとつになるからだろう。
愛する人を守りたい、愛する故郷を守りたいという気持ちは人類共通の普遍的なものである。
この手の映画では、基本的に人類の勝利は確約されている。映画なんだから当然だ。
だけれども、この映画は感動する。
勝てばいいというわけではない。そこに愛情がなければ感動は生まれないのだ。
いままでにない映像という意味ではパールハーバーも凄まじいと思うが、いまいち映画としての感動が薄いのは、人間同士の殺し合い以上の意味が見いだせないからかもしれない。僕がアメリカ人だったらもっと違う感想になるのかもしれないが。
![]() | 河童 デジタルリマスター
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親子の愛を描いた名作として、カールスモーキー石井の「河童」も挙げたい。
ミュージシャンが手慰みに作った映画と思われがちだが、実は素晴らしい映画だと思う。
僕が今回、実家に戻ったのは祖父の一回忌のためだ。
僕は正直言うと、別居していた祖父のことをそんなによく思い出せない。
祖父との思い出は数えるほどしかない。
それでも祖父を火葬場に送り出したとき、何とも言えない荘厳な気分になったものだ。
祖父がそれまで先祖から受け継いできた血を、いままた僕が受け継いでいる。
祖父とその兄弟は浴びるほど酒を鯨飲し、僕も例に漏れず酒好きだ。
祖父の父、つまり曾祖父は商人で、祖父は軍人、父はエンジニアだ。
なにか因縁めいたものを感じてしまう。
母方の祖父は職人で、曾祖父は商人、母は元歌手で、ピアノ教師だ。
これまた因縁を感じる。
人は自分の生まれながらの運命に逆らえないような、そんな気さえする。
もちろん、そうしたこと、特に職業の選択に関わることが遺伝的に決定されるなんてロマンティックに過ぎると思う。しかし、僕がゲームやサイトの企画という芸術的分野と、そのプログラミングという職人的技術者的分野、そして企業戦士としての軍人的性格を持ち、今は商人として生計を立てているとは、まるで僕という人間がフーリエ変換されたようだ。
彼らはきっと息子達、娘達を愛したろうし、僕は顔を見たこともない曾祖父のことも含めて、言葉にならない愛情を感じることがある。
これが親子の絆の連鎖であり、血統というものであり、人というものを成り立たせているなにか大切なものだと思う。
こうした親子の愛は、なによりも深い。ID4のラッセル・ケイスを見る度、やはり何度もそう思ってしまう。
そういうことにいちいち感動して泣いていると、やっぱり俺は歳を取ったのだなと思ってしまう。
今日、帰りしなに久しぶりに見た八海山を見て、やっぱり自然に涙を流してしまった。
越後の大地は俺の母であり、偉大なる故郷なのだ。
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